ビジネス数学の専門家、深沢真太郎です。
今日は定義の話。
あらゆるところで伝えていることですが、定義するという行為は極めて数学的です。
定義するから、数学が始まる。
ゆえに定義を変えれば、別の数学が始まります。
(↑この2行がとても大事です。覚えておいてください)
では本題。
私は年に数回、次のようなコメント(ご指摘?)を
「自称・それなりに数学を知っている人」から頂戴します。
ご紹介します。
「深沢さんのしていること、ビジネス数学? あれって、数学じゃないですよね」
ほう、そうですか。
特にその場では反論しませんし、むしろ逆に黙ってニッコリと笑顔をプレゼントしています(笑)。
なぜ反論しないかというと、反論するに値しない論述だから。
と、これで終わってしまってはここまでお読みいただいた方に申し訳ないので、
今日はどういうことか少し説明したいと思います。
では仮に先ほどの方に「じゃあ正しい数学とは何ですか?」と尋ねてみる。
返答はおそらくこんなものだろう。
「学校の教科書で指導する数学」
「かつて数学者が積み上げてきた美しい学術的な論理体系」
「経済学や物理学や工学の言語になっているもの」
「たとえば微分積分みたいな…」
まあ、誰もが認識している「数学」とはこういったものでしょう。
本来それが数学というものだと言いたい気持ちはわからなくもない。
でも、違う数学はあってはいけないのだろうか。
東大の教授が提唱する数学。
文部省が推奨する数学。
数学検定協会が推奨する数学。
統計学者が使う数学。
小学生が新たに考える数学。
主婦が必要とする数学。
ビジネスパーソンが必要とする数学。
・・・・・・・・・・・・
「どれも数学」ではダメなの?
数学はひとつでないとダメなの?
少なくとも私はそうは思わない。
数学とは何か。
つまり数学の定義は、無限にあっていいのです。
定義が変われば、別の数学が生まれる。
ただそれだけのこと。
そういうものではないのですか、数学って。
「深沢さんのしていること、ビジネス数学? あれって、数学じゃないですよね」
この指摘は、数学的ではない。
ゆえに、この指摘は数学に携わる専門家として、反論するに値しない。
そういうことです。
いろんな考えがあっていい。
いろんな人種がいていい。
いろんな性的趣向があっていい。
そういう時代です。
そしてその通りだと思います。
こういうものが数学であり、そうでないものは数学とは認められない。
そんな思想が透けて見える発言をされると、私はとても残念に思う。
当然、私は他の方が定義する数学を「それは数学じゃない」と否定することは絶対にない。
いろんな数学を認めることができない「自称・それなりに数学を知っている人」は、
少し視野を広げてみて欲しい。
柔軟な考え方を持って欲しい。
そうすることできっと、数学はもっと世の中に広まり、人々の身近になり、
そして「数学って大事だね」「数学って面白いね」といった声が、
世の中にたくさん生まれることになると思うのです。
問いたい。
数学の広がりを妨げているのは、いったい誰だ。
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